兵庫県尼崎市にて深層霊視鑑定をしております、
幽水(ゆうすい)です。
公式LINEで鑑定を始めてから、同じようなご質問をいただくことが増えてまいりました。
ですので、こちらに私のことや鑑定への想いをまとめて書き残しておきます。
幽水(ゆうすい)という名前の由来は何ですか?
「心の奥底に静まる水のように、深く澄んだ真実を映し出したい」という想いから名付けました。
水は清濁をあわせ呑みながらも、決して争わず、滞った淀みをやさしく解きほぐして大海へと還っていきます。
尼崎という街は、古くから水運とともに人々の生活や商いが息づき、酸いも甘いも噛み分けた飾らない人の温もりがある場所です。
難しく説教をするのではなく、暮らしの中にすっと染み渡る水のように、お相手の心にやさしく寄り添い、止まっていた歩みをそっと前へ進められるような言葉をお渡ししたい。
その初心を忘れないために、この「幽水」という名前をつけております。
実際には、どんなふうに視えるのですか?
水面にふっと浮かび上がる「影や波紋」のような感覚です。
お顔立ち、場所の景色、色、短い一言、ふっと目に浮かぶ情景。
その方を静かに包み込んでいる空気の気配。
そして、ご本人がまだ誰にも言えていない、胸の奥底の想い。
そうした断片的な気配が、水面に落ちた一滴の雫のように、ふっと私の内側に波紋を広げて届きます。
一つひとつの欠片だけでは、私にもすぐには意味が分からないことがあります。
けれど、その方のお話に耳を傾け、意識を深く重ねていくうちに、
散らばっていた点と点が、一本の確かな流れのように結ばれていきます。
未来のすべてが映画のように最初から最後まで流れるわけではありません。
水底からすくい上げた情景の断片を、ありのまま丁寧に言葉にしてお渡しする。
それが、私の深層霊視です。
本当に当たりますか?
私は「当てること」を目的に視ていません。
この道を長く続けてきて、一番多く言われてきたのは、
「どうしてそこまで分かるんですか」という驚きよりも、
「誰にも話したことがないのに、どうして……」という涙混じりの言葉でした。
ご自身の中でずっと抱えていたのに、うまく言葉にできなかった想いや、心の淀み。
それを、私が代わりに言葉にして差し出す。
だから「言い当てられた」というよりは、「胸の奥底をそっとすくい上げてもらった」と感じてくださる方が多いようです。
もちろん、視えた結果が、ご本人の望む答えと違う場合もあります。
その時は、嘘をつかずに正直にお伝えします。
けれど、悪いことだけを伝えて突き放すような真似は絶対にいたしません。
「では、ここからどう歩き出せば淀みが晴れ、道が開けるのか」まで、最後まで一緒に探してまいります。
対面での鑑定は受けられますか?
現在は、公式LINEを通した「文章での鑑定」のみをお受けしております。
(※これまでの対面鑑定枠は2030年1月まで満席となっております)
お名前(呼ばれたいお名前で結構です)、性別、生年月日(可能であれば)、そして今のお悩みを送っていただければ、
深く心を澄ませるお時間をいただき、無料の鑑定結果をお届けいたします。
「文章だけだと、対面より薄くなってしまうのでは?」と心配されることもありますが、私の場合はむしろ逆なのです。
目の前におられると、お相手の表情や話し声、仕草に私の意識が引っ張られてしまい、届いた神聖な気配を無意識に丸めて柔らかく整えてしまうことがあります。
文章で向き合うほうが、水底から浮かび上がった純粋なメッセージを、曇りなくそのままの形でお渡しできるのです。
無料鑑定と本鑑定では、どのような違いがあるのですか?
無料鑑定は、お相手の波長に触れたとき、水面に最初にふわっと浮かんだ「表層の気配」をそのままお伝えするものです。
視えたところまでを簡潔にお書きします。
本鑑定は、しっかりと腰を据えて時間をかけ、その水底にある「因果の奥の続き」まで深く読み解くものです。
物事が動く具体的な時期、好転への手順、お相手の本当の胸の内、魂が抱えるカルマの解き方…
無料のお時間内ではとても書ききれない細やかな真実を、一通の鑑定書として丁寧に整えてお渡しいたします。
無料鑑定をお受け取りになり、「その先の詳しい道筋まで知りたい」と心から望まれた方にのみご案内しておりますので、こちらから無理にお勧めすることは決してございません。
不倫や複雑な恋愛など、人には言えない悩みでも相談していいですか?
もちろん、大丈夫です。
尼崎の街で人の生々しい営みを見つめながら暮らしていると、
「誰にも打ち明けられない重荷」を胸の底に抱えて生きている方が、どれほど多くいらっしゃるかが身に染みて分かります。
何年経ってもどうしても忘れられない人がいる。
惹かれてしまった人には、すでに家庭がある。
ひどい裏切りを経験したのに、どうしても嫌いになりきれない。
40代、50代を迎えてから、もう一度誰かを本気で愛してしまった。
周囲の人から見れば「そんなのやめておきなさい」の一言で片付けられてしまうことでも、
当人にとっては、そんな簡単に割り切れるものではありません。
私は、誰かを不幸に陥れるような道をお勧めするために視ているのではありません。
けれど、思い悩み、苦しんでいるその人のお気持ちまで頭ごなしに否定する必要は決してない、と思っています。
綺麗な言葉に繕おうとしなくて大丈夫です。
胸の中にあるそのままの想いを、どうぞ吐き出してください。
「先生」とお呼びしたほうがよろしいですか?
いいえ、「先生」なんて呼ばないでください。
私自身、皆さんと同じように日々の暮らしの中で普通に悩みますし、落ち込むこともあります。
何もやる気が起きない日だってあります。
夕方に地元のスーパーや商店街へ行き、近所の方と「今日もお疲れ様です、急に冷え込んできましたね」なんて世間話をしながら買い出しをして、それだけで終わる一日もたくさんあります。
「敷居の高い先生」としてではなく、「ちょっと人生経験の長い、話しやすい近所の人」に聞いてみる。
そのくらいの気負わないお気持ちで、気軽に頼っていただけたら何より嬉しいです。
最後に、メッセージをいただけますか?
いま目の前にある暗闇だけを見て、ご自身のこれからの人生のすべてを決めつけないでくださいね。
どれだけ重たく澱んで止まっているように見える水であっても、清らかな流れがひとたび通れば、少しずつ澄み渡り、心地よく動き始めます。
止まない雨がないように、淀みを押し流す清流は、あなたの元へも巡ってくると信じています。
その滞りを解く「最初の一滴」が、あなたの心へと届きますように。
それだけを、毎朝、尼崎の水堂須佐男神社(みずどうすさのおじんじゃ)の境内で静かに手を合わせ、祈り続けております。